ご縁があって時折都内某所の学校事業の一環にほんの少しだけ関わらせていただいた。
小学生にお茶の芽を摘んでもらい、それを製茶して、飲む、という茶育授業を知り合いの方(Yさん)が長年なさっている。
数年前にお声掛けいただき本番前の試作、打合せなどに参加させていただいた。
今回も本番のお手伝いには仕事で参加できなかったのだが、実際の茶摘み、製茶、先生たちとの打ち合わせに同行させてもらうことができた。
都内某所、学校名もお茶に関係していて縁を感じる。
都内にもところどころチャノキは残っていたりして、私もどこかに行くと探している。
この小学校近くに古い家の垣根がチャノキになっている場所があり、Yさんがそこでお茶を摘ませてもらったことから始まったプロジェクトだ。
その日もそこで新芽を摘み、Yさんのご案内で他にもチャノキがある場所をいくつか回って芽を摘み、小学校の家庭科室で製茶と打合せを行う。
私はいつも釜炒り茶を作るのだが、Yさんは昔から蒸し製の煎茶を作っている。
とはいえ、Yさんは茶業に関係があるわけでもなく、手もみ茶の経験者でもない。
ご自身で色々と勉強をなさって、学校公認で子供たちに教えている。
まずは葉を蒸すところから始め、水分を飛ばし、揉み、それをフライパンで乾燥させながら、揉みながら…を繰り返していく。
今更当たり前のことなのだが、「蒸す」という工程は酸化酵素の働きをムラなく止めることができて、非常に効率が良いことを痛感した。
釜で炒る場合は少しずつ緩やかに殺青が行われていくので、うまくやらないと殺青不良を起こす。
改めて「蒸す」という工程について深く考える時間となった。
蒸した葉の粗熱と露をとり、少しずつ揉んでいく。
水分が出てきたらフライパンに乗せ、弱い火で表面を乾かしていく。
表面の水分がなくなったら、また揉んでいき、中からしっかりと水分を出していく。
それを何度か繰り返し、蒸し製煎茶が出来上がる。
垣根のチャノキから摘んだものととある方の家の庭に1本だけ植えられているチャノキから摘んだものを作り、飲み比べてみると全く違う味わいになった。
垣根のものは大正時代くらいからあるもので、恐らく在来と思われる。
庭にあるものも、その方の曽祖父?の墓に植えられたチャノキから種を取ったということだったので在来。
何がかけ合わさってできたものかわからないため、詳細は全く不明だ。
とにかく風味は全く違う。
出来上がった辺りに先生たちがやってきて、もう一度同様の製茶を行う。
お若い先生たちお二人とも、とても感動なさっていた。
ペットボトルとは全く違う!とも。
その後私は質問攻めにあった。
お茶のこと、とにかく色々とご質問いただき、私のお答えできる範囲でできる限り回答した。
これはとても嬉しいこと。
強く興味を持ってくださったということだ。
興味を持たなければ質問は出てこないもの。
願わくば生徒たちを見ながらで大変だとは思うが、先生たちが楽しんでくださると嬉しい。
Yさんはボランティアでこの活動を始め、数十年お1人で続けていらっしゃる。
茶業にかかわりがなくとも、こうしてお茶の楽しさを伝えてくださる方がいる。
本当に毎回涙が出るほどありがたく思う。
最近やたらと茶農家が減っているというニュースを見かけるようになった。
一方で祭りのような抹茶フィーバー、そして煎茶不足。
どこか茶業の構造が歪んでいるのは明らかだ。
小学生に「茶」という存在を伝える、お茶を作って飲む、ということを体験してもらう。
こういった活動は全国各地で行われている。
新茶期には毎日どこかしらで学生の茶摘み体験の記事が上がってきていた。
小さな活動かも知れないが、こうして未来の種を撒いていかなければ我々の先はない。
私自身も目先の利益ばかりを追ってしまうことがあるが、本来は違うのだ。
本当は茶業に携わる皆で茶業の未来を考えていかなければならないのだ。
若い先生たちに少しでもお茶に興味を持っていただけたことを嬉しく思うし、子供たちがこの家庭科室でキラキラした目をしながらお茶を飲む姿を想像して一人ほくそえんだ。
とても良い初夏の一日だった。
私たちも私たちにできることを精一杯頑張っていきたいと思う。



コメント