大磯町にある明治記念大磯邸園の「旧大隈重信別邸・旧古河別邸」「陸奥宗光別邸跡・旧古河別邸」が2024年11月23日より一般公開されています。
それに合わせ、(お茶の店ニルマーネル店主の趣味で)「大隈重信に飲んでもらいたい上級緑茶」を販売させていただきます。
同時に「伊藤博文に飲んでもらいたい番茶」もリリースします。
吉田茂に飲んでもらいたいミルクティブレンド
西行法師に飲んでもらいたいほうじ茶
松本順に飲んでもらいたいミルクティブレンド
今回同時リリースの
伊藤博文に飲んでもらいたい番茶
と合わせた第四弾、第五弾です。
大隈重信について
▼出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
1838年(天保9年)3月11日~1922年(大正11年)1月10日 83歳没
佐賀藩士の家に生まれ、外務大臣、内閣総理大臣も務めた政治家であり、早稲田大学の前身東京専門学校を設立した教育者でもあります。
幕末には佐賀藩校「到遠館」の校長、オランダの宣教師グイド・フルベッキより英学を学びました。
明治の初頭に長崎で外国人との訴訟の処理などを行い、イギリス公使パークスとの交渉をうまく切り抜けたことで名を轟かせます。
明治新政府では参与に任じられ、新通貨、鉄道敷設、殖産興業など改革を進めていきます。
明治4年以降徐々に政府の中枢で実権を握り始めますが、明治14年の政変で伊藤博文らと対立し野に下ります。
この間国会開設に備え、立憲改進党を作り党首となり、早稲田大学の前身東京専門学校を作ります。
明治20年に政界復帰し、明治22年外務大臣を務めていた時に爆弾襲撃を受け右足を切断。
以後義足で過ごすことになります。
大隈重信初の内閣総理大臣を務めることになった前年、1897年(明治30年)に大磯町に別荘を購入。
松の苗を植樹したり、風呂場を新設したりと増改築はしたものの、4年後(明治34年)には手放すことになります。
(手放した理由は諸説ありますが、一般的には自宅が火災で焼失し、東京専門学校(現早稲田大学)設立費用に充てるためと言われています)
大隈重信と緑茶について
大隈重信について書いたものを色々探っていると、煎茶をよく飲んでいたとあります。
例えば、大隈本人に健康長寿法について聞き取りをした中に以下のような記載があります。
24、茶を特に好まるるか
⇒煎茶を好む。25、煎茶、抹茶、珈琲、紅茶いづれを最も用ひらるるか
⇒煎茶最も多く、次に紅茶、その他は時々用ゆ。39、間食せらるるや(菓子又は果物)
⇒菓子少量▼引用:湯川玄洋 著『健康長寿法』,実業之日本社 大正5年
他にも、大隈侯爵家々従北川泰次郎という方が「実業之日本」の中で「侯爵の日常生活」という文章を書いています。
そちらを読むと「規則正しい生活」「味噌汁大好き、魚より野菜派」「お風呂大好き」「運動は結構する」「綺麗好き」などなどの大隈の日常生活がうかがえます。
そして「茶も大好き」↓↓
昼食と晩餐後には必ず果物を召し上がるのが例であるが、間食はせられない。されても極く少量である。
茶は大の好物で、紅茶でも日本茶でも何でもやられる。▼引用:実業之日本 大隈侯哀悼號 大正11年発行
また同じ冊子に掲載されている医学博士の方が書いた「大隈候の健康法」という文章の中では「体重、体温はしょっちゅう計測」「大便を上中下に分けて自分で検査(これにより食事を調整していたとか)」などが書かれています。
若い頃には酒やたばこもやっていましたが、晩年はきっぱり止めて健康に気遣っている姿も見ることができます。
また、濃く淹れた煎茶はガブガブ飲んでいるけれど、お茶漬けを食べたことがないというようなエピソードもありました。↓↓
(中略 以前は酒もタバコもヘビーだったのを止めて)そして唯且暮れ(あけくれ)嗜んでいられたのはお茶で、それも茶道とか茶式によったものではなく、濃く淹れた煎茶をとられる位でした。然し、かうしてお茶を嗜まれましたが四十五の年から今日まで、未だお茶漬けを食べられたことはありませんでした。
ある時、ある人が、共に食事をされた折、
「候はどうしてお茶漬けを召されないのですか」
と、問ひますと、
「お茶漬けは衛生に悪いから…」と一言に申されたさうですが、これ位平素から候は衛生に注意されていたのです。そして、「吾輩は125歳まで生きるんであるのである」(以下略)▼引用:岡本瓊二 著『大隈重信逸話集 : 世界の大偉人』,大正11
「お茶漬け食べない」エピソードは他でも見かけました。
佐賀県人は元々茶漬けを食べない風習だと言われているそうです。(同県人の方が「それ(佐賀県人が茶漬けを食べない)もそうだが、大隈のただの好き嫌いだろう」と書かれたものもありました。)
さらに、他の資料には「食事は質素だが、茶は贅沢に玉露を飲んでいた」や「極上の煎茶を愛飲し、甘い菓子を喜んだ」などとも書かれています。
他にも、明治時代から発刊されていた「茶業界」(静岡県茶業組合連合会議所)という雑誌があるのですが、大隈重信はこちらに何度か寄稿しています。(とはいえ、大隈は字を書きませんので口述筆記)
その中には当時第二次大隈内閣で総理大臣を務めていた頃「製茶貿易を振興せよ」という演説が載っています。
国産紅茶にも言及しており、「日本でヨーロッパ人が驚くような紅茶が作れないはずはない」と言っています。
他にも茶業関係者に「日本人の生活から茶を除くことは、この先50年100年経ってもできないだろう(だから頑張って輸出せよ)」と激を飛ばしている記述もあります。
大隈に近しい方が書いた書には早稲田の本邸の頃茶畑を持っていたという記述もありました。
このあたりはもう少し調べていきたいと思っています。
茶を愛し、日本にとって茶が大切なものだということを繰り返し言ってくれています。
なるほど、多くの人に愛されていた理由がよくわかりました。
店主もお茶を通じてすっかり大隈重信が好きになってしまいましたから。笑
大隈重信の好みに合わせた緑茶のこと
大隈重信が煎茶を愛飲していたことが分かり、大隈重信に飲んでもらいたい緑茶についてあれこれ考えました。
玉露や上級煎茶を湯呑にたくさん注いでガブガブ飲んでいること。
好んで食べていたとされる菓子を見ていると素材がシンプルで上品なお菓子ばかり。
当時の煎茶や玉露と同じものは用意することができませんが、彼の出身地、佐賀県の緑茶を使いたいと思い立ちました。
知人に協力を願って、いくつかサンプルを取り寄せてもらいテイスティング。
「佐賀県の緑茶、なおかつガブガブ飲んでも胃に負担がなく、上品なお菓子に合うもの」
サンプルの中から、佐賀県で作られている蒸し製の玉緑茶を使わせていただくことにしました。
するりと飲みやすく、綺麗な味わいの上級緑茶です。
お勧めの淹れ方
ティーバッグ1個に2.5gの茶葉が入っています。
ティーバッグ1個をマグカップなどに入れ、熱湯180㏄程度を注ぎ1分~2分抽出してください。
湯温を少し下げて淹れる場合は2分~3分程度抽出していただくと良いと思います。
小さめの湯飲み(100㏄程度)で2煎、3煎飲んでいただくことも可能です。
熱湯でもさっぱりとした旨味が味わえます。
どのような淹れ方でも美味しく飲んでいただけますので色々お試しいただけますと幸いです。
【注】
開封後は酸化しやすいため、できるだけ早くお召し上がりいただくようお願い致します。
最後に…
明治記念大磯邸園の「旧大隈重信別邸・旧古河別邸」に入ることができ、同じ角度から大隈候が眺めたであろう風景をぼんやり見ていました。
ふと、お菓子をつまみながら、湯飲みに入ったお茶をガブガブ飲んでいる大隈候が「良いお茶である」と言ってくださる姿が頭に浮かび、ほくそ笑んでいたのは内緒です。
専門家でもないため、間違いを見つけた場合(ご指摘いただいた場合)は随時修正をしていきたいと思っております。
また、何かお茶に纏わる資料を見つけた際は更新していきたいと思います。
何かございましたら遠慮なくこちらからご連絡ください。
以前から考えていたアイデアを形にできて、感無量です。
こちらの商品を作るためにご協力いただいた皆様に心より御礼申し上げます。
是非明治記念大磯邸園に足をお運びください。
NPO法人大磯ガイド協会では随時ガイドツアーも行っております。
明治記念大磯邸園を含めたガイドが必要な際は是非一度ご相談くださいませ。
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