「吉田茂に飲んでもらいたいミルクティブレンド」について

吉田茂ブレンド1 商品

「松本順に飲んでもらいたいミルクティブレンド」裏のQRコードリンクが誤っておりました。20241021
こちらを参照ください⇒「松本順に飲んでもらいたいミルクティブレンド」について

この度、2023年10月1日旧吉田茂邸ガーデンパーティに当たり、お茶の店ニルマーネルは「吉田茂に飲んでもらいたいミルクティブレンド」を作成しました。

吉田茂と紅茶について

吉田茂(明治11年(1878年)~昭和42年(1967年))は第二次世界大戦前32年間を外交官、戦後政治家として18年勤めます。

戦後、第45代、48代、49代、50代、51代に渡って内閣総理大臣を経験し、日本の復興に生涯を尽くします。

外交官になりたての若い頃にもロンドン勤務をし、第二次世界大戦がはじまる直前の昭和11年(1936年)から外務省を引退するまで駐イギリス大使を務めました。

外務省を辞職した昭和14年(1939年)から週末を大磯町で過ごすようになり、東京大空襲(昭和20年/1945年)により東京の自宅が全焼してから大磯の屋敷に暮らすようになります。
▼参考:神奈川県立大磯城山公園旧吉田茂邸地区

アサヒグラフで吉田茂を取材した記者は、

日本茶とお菓子の後、吉田さんは手を鳴らして、紅茶を命じた。これも伝説の部類に属する話で、本当かどうかは分からないが、緑茶と和菓子だけで終わらずに、紅茶と洋菓子が出るのは、気に入った相手で機嫌のいい時だと聞いていたが(以下略)

■引用:アサヒグラフ 臨時増刊 緊急特集 吉田茂の生涯 雑誌 – 1967/11/5

と書いており、ティーカップとカステラと思しき菓子を楽しんでいる写真が添えられています。

また、東京都港区麻布にある外務省の外交史料館には吉田茂が愛用していたとされる銀製のティーセットが所蔵されているそうです。

紅茶セット
▼出典:吉田茂 日本の独立に命をかけた男 (別冊宝島)


外交官として客人に紅茶を振る舞ったことも多々あるでしょう。

ロンドンに滞在し、駐イギリス大使として暮らしていたとすれば日常的に紅茶を嗜んでいたことが想像できます。

当時のイギリスの紅茶ついて

今回駐イギリス大使として暮らしていた頃(1930年代)のイギリスの紅茶事情について調べてみました。

第一次世界大戦後イギリスでは上流階級層が没落し始め、経済状況は悪化の一途。

それまでトワイニング社のような老舗では、多くの従業員がいる大きな邸宅に50ポンド(20キロ以上)、100ポンド(40キロ以上)という大量な茶葉を量り売りしていましたが、従業員は解雇され、屋敷を手放す上流階級層が増えたため茶葉の消費も落ち込んでいきます。
次第に保存性の良い小分けのパッケージに変わっていくのはこの頃です。

また、1930年代に入ると農業生産力が上がったことにより需要と供給のバランスが崩れ始め、主要生産国(インド、セイロン、インドネシア等)が主体となり「国際茶業委員会(ITC)」が成立します。

これにより紅茶生産国は生産量と栽培面積の制限がされ、低迷していた紅茶の価格は緩やかに上昇していきます。

第二次世界大戦中は紅茶も配給制となるのですが、戦地の兵士たちには大量の紅茶が送られたそうです。
他の国には類を見ない給湯器が搭載された戦車が作られ、戦時中もお湯を沸かして紅茶を飲んでいたとか。
紅茶の国イギリスらしいエピソードですね。

今回のブレンドティのコンセプトについて

吉田茂ブレンド2

上記に述べたような時代、駐イギリス大使を務めていた吉田茂はどのような紅茶を飲んでいたのでしょうか。

国際茶業委員会によって生産量などが制限されたとしても、当時ブレンドの主となるのはやはりインド、セイロン(ジャワ)辺りではないかと考えられます。

国際茶業委員会の取り決めによって市況が上向きになると、逆にブレンド用の価格の安い紅茶が不足する事態となります。

その時急激に輸出を増やしたのが我が国日本の紅茶。
世界は繋がっていますね。

当時の紅茶は今ほど製茶の精度も高くないように思えますし、割とあっさりした味わいではなかったかとイメージを膨らませました。

紅茶を巡る世界情勢を頭に入れた上で、吉田茂の好みも併せて考えてみました。

吉田茂は3歳で貿易商吉田健三の養子に入り、11歳で義父は亡くなりますが現在の価値で50億ともいわれる財産を相続します。

義父が貿易商、富豪であったことから恐らく幼き頃から世界の美味しいものを食べたり飲んだりしてきたことでしょう。

また、一流のもの(背広、白足袋、葉巻など)へのこだわりを生涯持ち続けた方です。

これらのことを考え併せて、「吉田茂に飲んでもらいたいミルクティブレンド」はスリランカ(セイロン)、インド、ネパール、そして日本の紅茶をブレンドしました。

イギリスと言えばやはりミルクティが鉄板ですので、ミルクに合うように、かつストレートでも美味しく召し上がっていただけるような紅茶に仕上げました。

吉田茂が「おお、美味しいじゃないか」と言ってくださることを思い浮かべながら、当時の紅茶を私なりにイメージしてみたものです。

是非お試しください。

そして是非大磯町の旧吉田茂邸にも足をお運びいただければ幸いです。
大磯町ガイド協会による案内もありますよ。(基本的には要予約)

▼参考:大磯城山公園【公式】旧吉田茂邸地区
▼参考:大磯町ガイド協会

お勧めの淹れ方

ティーバッグには2.5gの茶葉が入っています。

およそ150㏄(ティーカップ1杯分)の熱湯にティーバッグ1個を入れ、カップに蓋をし、静かに待ちましょう。

抽出時間の目安は
・ストレートティ:2分~3分
・ミルクティ:3分~5分

程度がおススメです。

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