50の手習いの話

日本茶インストラクターは2016年に取得した。
札幌で紅茶カフェを営んでいる頃。
それまでは長らく紅茶界隈だったが、急に日本茶方面への視野が広がったのは日本茶インストラクターを取得してからになる。

というのも、私の家は全くお茶を飲まない家庭だった。
たまにティーバッグの紅茶を飲んだりするが、せいぜいそれくらい。
両親が毎朝毎晩飲むのは珈琲だった。
家に急須があるのを見たこともない。(あっても急須だと認識できないレベル)

よって、日本茶インストラクターになって初めて深く日本茶に触れるようになった、恥ずかしながらかなり後発組なのだ。

そこからまぁまぁ必死で学びを深めていった。
なにせとんでもなく遅れているから。
静岡に行っても何の話かわからない経験も何度もしている。(多くの方にご迷惑をお掛けしていることを思うと申し訳なくて穴に入りたい感じ…)

家でお茶どころか抹茶を飲んだこともなかったが、なぜか学生時代に岡倉天心の本を読んだことがあった。
ほとんど記憶はないが、なんだか茶道はすごいものだ、という印象だけ残っている。

ほんの少しずつだが、抹茶についても知っておきたいと思うようになった。
抹茶といえば茶道で、「茶道といえばお金持ちの道楽」という勝手なイメージがあった。
私のような身分の者など到底できないもの。
やってはいけないもの、とすら思っていた。

時折茶道を習っている方とお話すると、上品な身のこなしや言葉遣いにますます世界が遠のいた。
そしてお金がないと大変だという話を幾人からも聞いて、気持ち的には完全に脱落していた。
しかし、どこかでやっぱり気になっていた。
「日々是好日」というエッセイと出会って、茶道への心のハードルが下がったのと同時に再燃もした。
映画も見た。
図書館で何度も借りたエッセイはのちに購入して、今も手元にある。

決定打は日本茶の歴史講座を受けた時だ。
先生がおっしゃる「今までの茶道の通例」なるものがなにひとつわからない。
説明してくださっても、茶室や書院の作り、道具に至るまですべてがわからないためとにかく何もわからない。
途方に暮れた。

だが、知りたかった。
ずっと興味はあったのだ。
「機会があれば…いつか…」と言い続けて数年が経っていた。
ある日、参加させていただいているボランティア団体の上の方がお近くで茶道の先生をなさっていることを知る。
通りがかりにお会いした際、「先生、私茶道がやりたいです」←みっちゃん…?!(わかる人はわかる)
と声をお掛けした。

そして早速見学に伺った。
白い靴下を持って行くことをその時知った。
びっくりするほど私は何も知らない。
そりゃ、日本茶の歴史などわかるはずはない。

そこから4年弱経過した。
昨年の冬、そして今年の冬、大磯町にある素晴らしい茶室二か所でお点前を経験させていただくことができた。
昨年から着物を着ることも加わり、YouTubeを見ながらなんとかかんとか一人で着付けることができるようになった。
今年は半東というタスクも増え、アワアワしながらお客様をお迎えした。

お点前も着物もいまだ初心者で、わからないことだらけ、知らないことだらけだ。
間もなく迎える50歳、「まだまだ若い」と先輩たちからたくさんのご指摘をいただく。

「こんなことも知らないのか…」「なぜすぐに覚えられないのだろう」「恥ずかしい」という気持ちが何度も頭をよぎるが、これこそ「無知の知」だと開き直ったりもする。

そしてふとまた「日々是好日」を開く。
同じような気持ちを筆者も味わっていて、ふふふと笑いがこみあげてくる。

年を重ねても何かを学ぶというのは素敵なことだ。
2026年も先輩たちのように美しい所作の大人の女性を目指してお稽古に励むことにしよう。



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